こんにちわよっしーです。
働き始めたのは22歳、今年で社会に出てから10年が経とうとしています。時の流れは恐ろしく早いものです。
新人のころは30代の先輩方はとても仕事ができていました。要領がよく、取引先と雰囲気良く話、交渉もしっかりやる。自分もそうなるのかと信じて疑いませんでした。
しかし、10年たった今新人の頃とまったく同じです。基本指示待ち、発言しない、無気力・・・なにもできない社会人です。
二十代後半までは希望を持っていた気がしましたが、30代になってからは自分の能力と気力のなさを奮い立たせるのは完全に諦めてしまいました。無職にもなりました。
もちろん、完全にやる気なく振る舞うのは周りからの反感は買うので、フリだけはしますが、やる気のなさは滲み出ていると思います。
逆の立場で無気力な取引先やら後輩がいたら間違いなく嫌悪感を抱くでしょう。なるべくやる気のある姿勢を見せたいですが、それもそれで疲れるものです。
そんな中なぜ働くことができるのかというと、「お金」という原動力があるからです。
働きさえすればお金が毎月着実にたまります。糞ほどつまらない労働を耐えられるのもお金を貰えるからです。都内一人暮らしだと生活費で大半は消費しますが、実家なら貯金効率がいいのがミソです。
この「お金」の大切さをしったのはつい最近のことでした。「お金」知れば知るほど人生のすべてに直結していることがわかります、「生活」「老後」「車」「恋愛」「老後」そして「仕事」。
20代のときはただ高給取りになりたい、とりあえず高いものが欲しい、保険にとりあえず入る等、雑に扱っていました。
「お金」を雑に扱うとどうなるのか
・後先考えず転職してしまう
・無駄に高価なもの、不必要なものを買う
・世間の当たり前に流されてお金を使う 等々
資本主義の中で生きていくならばお金は、生きる上でのお金は中心となります。「お金」を奪い合う世の中なのにお金を知らないのは、奪ってくださいといっているも同然です。考えることを放棄し、自分の本能と周りの声に左右され、操り人形の如く働いて、金を支払う。まさに奴隷です。
そんな大変な奴隷制度に耐えて獲得したお金を、雑に扱っていました。これが私の後悔です。
もちろん過去には戻れないので、後悔してもしょうがないですが、この経験を糧に二度と雑には扱いません。いつか経済的自由を夢見て、達成するまで働きます。
20代と言わず、10代からでもお金の知識は身につけるべきです。知識といってもそんな難しいことはありまえん。要は「必要なものに必要な分だけお金を使う」だけです。