「生殺与奪の権を他人に握らせるな」は鬼滅の刃の登場人物、富岡義勇の名言だ。
現代の日本において、他人に生殺与奪の権を握られている人は極めて少ない。死刑囚や殺人者を目の前にしている人くらいだろうか。
しかし命に別状は無いにしても、行動や言動の権は他人に握られている人は多い。いわゆる労働者だ。
「〇〇部長の決済が必要」「上司に相談が必要」「今日中に資料つくっといて」「今日残業できる?」
と、組織で働く以上、大株主や社長では無い限り上司に相談したり決済が降りないと行動できなかったり、残業を強要されることもしばしばだ。
フリーランスもフリーをは書いてあるものの、その実態は取引先の威光で、右でも左でも動かないといけない。
つまり多くの人間は一人で自由に行動ができず、他人に行動の権を握られている状態だ。
そもそも人が世界を支配したのは集団行動により、一人ではなし得ないパワーを発揮したことによるので、他人に支配されることは悪いことではない。
ただ、人類全体で見れば良しとしても、一個人にみれば、末端の労働者や力の無い労働者にとっては「他人に行動を握られている」状態がより強いので、こんな状態が続くと幸福度も低下する。
私の仕事場もまさにその状態で
「メール送るのも先輩に相談」
「資料つくるのも相談、完成したら上司、部長に報告」
「休憩いくのも報告」
「マニュアル通りにやる、前例があるか確認、無ければ報告相談、報告報告報告・・・」
大変苦痛である。
しかし、管理者の立場であればこれが普通で、マニュアルや社内ルールに沿った方法で仕事をさせなくては、管理コストはかかるし品質を一定に保てない。
なので行動を管理することは何も間違いではない。
そんな立場の低い労働者の脱出方法としては、労働者からは管理者側に回ることだ。会社のルールを熟知し成果を出し、会社に貢献する。上の立場になるしかない。
(それはそれで今度は部下の上司の板挟みになり苦労するが。。。)
ただ問題点としては、能力のある人間はそれができるが、能力が劣る人間はいつまでも上には上がれないことだ。
私の場合は能力もやる気もない。こんな人間が出世するはずもなく、出世する意欲もない。
そんな人間に残された道は、セミリタイアしかないと考える。生活費の半分は投資や貯金を使い、残り半分は労働で賄う。
サラリーマンは行動の制限をされやすいが、アルバイト等の時間単位で働けば行動の権利をその分奪われないで済む。
今はただ底辺サラリーマンとしてじっと耐えるのみである。生殺与奪の権はまだ会社に預けておこう。
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